2007年3月25日日曜日

グーグルアースとぼくと社会

前々からチェックしている人の記事でおもしろいものを引っ張ってきた。

clipped from cruel.org
今月の喝……ではなく論点:グーグルアースとプライバシーなど。
CYZO 2007/02??????????

(『CYZO』2007 年 03 月)

山形浩生

要約:
グーグルアースはおもしろいが、そのおもしろさは一部はのぞき見のおもしろさであり、便利さと引き替えに人々が自分のプライバシーを切り売りする、というグーグルがこれまで一貫してとってきた戦法がここでも貫徹されているのはおもしろい。携帯電話に手を出したりして、今後グーグルはライフログのような方向に向かい、ありとあらゆる行動を人が自発的に売り渡すようし向けるだろう。プライバシーがかくも安っちいものだったというのは、ある意味で驚きだ。


 そしてこのソフトは、ある意味でグーグルの基本的な方向性の一つをよくあらわしている。それは、プライバシーの侵害、といって悪ければ浸食によってビジネスを築くという方向性だ。このソフトは、これまでは通常の人がなかなか見ることのできなかった他人の生活の一部をちょっと(上から)のぞかせてくれるところに魅力がある。そしてグーグルのサービスは、ほとんどすべてがその方向性にある。


 グーグルアースで、グーグルはやはり他人のプライバシーをちょっと浸食している。そして、それを正当化するために、ぼくたちみんなが持つ他人の生活をのぞいてみたいというのぞき根性をうまく利用している。一方でグーグルはサンフランシスコで携帯電話事業やフリーの無線ネットアクセスなんかにも手を出すとのこと。人がどの場所に興味があり、どの場所にいて何をしているかがわかる――そこから生じる可能性はすごいものだし、グーグルの周到さには目がくらむ一方で、結局人が守りたい一線、他人の明かしたくないものの本質というのはどこにあるのだろう。うまく抽象化すれば、人は自分のすべてをさらけ出しても平気なのだろうか? 近い将来、その一線が世界的に大きな問題になるんじゃないか、とグーグルアースをいじりながら思うのだ。


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なるほど。
確かに記事にあるとおり、グーグルのサービスに参与しながら、
自身のプライベートを、間接的に「麻痺」された状態で、献上しているという見方はできる。

「便利さ」や「かつてない魅力」をもったグーグルをはじめとした最近のWebツールを使う際、
自分が大事にしたい「価値観」との関りを考えることはこれまでなかった。

しかし突き詰めていけば、これも自分の生活の中で利用する一つのインフラとしてWebがあり、
それを利用することで、それに伴う自分の生活の変化があり、自分をはじめとしたユーザーが
増えることで、個人の意識のないままに社会に変化が生まれる。

高尾山における圏央道建設問題のように、たぶん便利なインフラが整備される一方で、
それに伴う環境側面からしたらネガティブな影響が起きる構図とオーバーラップするように思う。
ユーザーとしての「リテラシー」や「価値観」が本来的に問われる類のものである。

自分の重きを置く「価値」とは?
便利さだけに目をとらわれない、一歩引いた姿勢を保っていたい。
また一方で社会的コンセクエンスを意識しながら、あえて新しいインフラを使うことという
戦略をもった動きができるようになりたい。

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